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忘れられた日本人

2014年06月03日

忘れられた日本人

宮本常一の著書を読んで色々な感慨を催す

幼児の頃、育った田舎では

この本に書かれているような事柄の残影が僅かに残っていた



電気水道はもちろん来ていたが、ポンプ井戸も使われていた

これは靄の掛かった記憶だが、近所の家の前で櫓を組み、滑車を架けて

女衆が何か歌を歌いながら声を合わせて綱を引き、井戸突きをしているのを見たことがある


又、普段は火の気がない鍛冶屋があったが

久方の注文なのか、ある時人だかりしていた

物珍しく見ると真っ赤に火を熾して馬蹄を鍛錬していた事があった

そして傍らに馬を繋ぎその場で装蹄していた


馬といえば冬に馬橇に乗ったことがある

雪道を歩いていると後ろから馬橇がやってきて

それにひょいと腰掛けたのである

行きか帰りか知らぬが、空荷の時は子供が戯れて乗っても主は咎めなかった

子供心に馬橇はとても大きく見えたが

丸太のような脚の馬は淡々と曳いた

しかしこの頃はもう運搬は耕うん機、自動車の時代で、普段馬橇は納屋の壁に乾いて立て掛けてあった



爺さん婆さんの服装はぼってりとした藍染め刺し子裾短の着物で

股引、もんぺを履き、外へ出る時は必ず手拭いでほっかむりをしていて

幼児ながら抱かれると日向土臭い匂いだった



又時々ほいと(乞食)が門付けに来た

何も芸などしなかったが、

家先に立ち、何かを言って布袋を差し出した

親切な家は一合枡で米を入れてあげていた



まわりの子らと連れだって山の方に栗ひろいなどに遊びに行くと

時々地元の子らに囲まれて捕まった

山方の子達は気性が荒く見えて怖く

話し方が喚声めいて、何を言っているのか解らなかった

そして拾い集めた栗などは全部取られてしまった





それやこれも、田舎道に車が走りだし、テレビなどが普及するにつれ

春の雪のように引いていった

時代は高度成長期で親世代の盛である

祖父祖母が其の親から伝承した事柄は古臭く、新しいものに置き換わっていった

稲藁の加工は農村の生活に不可欠だが

蓑(みの)わらぐつ、縄等は順次カッパ、ゴム靴、ロープに変わっていった

櫓や足場を組む時には縄を使い、この縄使いこそが鳶の技術で

正月の門松は鳶が旦那衆の為に作ったらしいが

やがて足場組は縄から番線に変わった


それやこれらを尻目に親世代は電化製品や自動車などを使いこなして

形も洋装になった

即ち今我が目で見る親である





振り返って見ると、幼児のぼんやりした目で見ていたのは

江戸から明治大正と続く形態の最後であったろうか











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Posted by woodworks at 16:52│Comments(0)たのしみ
 
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